結婚式の誓いの言葉について
リベラルクリエイターとしてデザイン創作活動を行いながら、似顔絵作成事業を運営しています、棚橋洋佑と申します。
この記事を見ていただき、ありがとうございます。
去年の8月に元妻との離婚が正式に決まりました。
そもそも2020年の9月に別居が始まってから、離婚という結果になることは目に見えてました。
でも、離婚という結果を受け入れるのが苦しくて、別居から10ヶ月間、ほとんど外に出れず寝たきりの生活を過ごし、何百回と希死念慮に襲われました。
そもそも、2018年から始まった都心勤務から、結婚生活のき裂は始まっていました。
都心勤務が始まってから2回、精神疾患を患いました。
何よりもぼくをここまで苦しめたのが、「結婚式の誓い」を守れないということでした。
ぼくが結婚式で立てた誓いは
60歳になっても元妻がぼくを選んでよかった
と思ってもらうことでした。
この誓いを披露宴で行いました。
披露宴の前に神前式を行ったので、披露宴に呼んだ、今までの夫婦になるぼくたちの人生を支えてくださった人達と神様に誓ったことになります。
この誓いを実現させることが、ぼくの結婚生活の指針となっていました。
でも、元妻と接するたびにパニック発作を起こす体質になり、どうしたらこの誓いを実現できるのか自分でもわからなくなりました。
さらに元妻に結婚生活で立てた誓いを尋ねたら忘れたと言われ、結婚観に大きな隔たりがあることを感じました。
誓いというのは命をかけて守るものという価値観は、今でも変わっていません。
それだけ尊く、重く、神聖なものだと思ってます。
もちろん誓いの内容が実現するかどうかは結果であり、神さまから授かる運命なので、必ずしも実現するとは限りません。
でもその誓いの実現に向けての過程は自分でコントロールできるものであり、その過程に全力で取り組むことは尊いと感じます。
何百回と感じた希死念慮の果てに生を楽しく今は続けられていることは、離婚して誓いを守れなかった禊はできたのかなって信じています。
今はパニック発作が怖くて元妻と接することはできませんが、きちんと養育費を払い、社会に価値を与えられる存在で居続けることができれば、
60歳になっても元妻がぼくを選んでよかったと思ってもらう
という誓いを果たすチャンスは、まだぼくに残っているのかもしれません。
今、新型ウィルスの蔓延もあり、結婚式の価値が問われています。
経済的負担が大きく、準備の労力も多大な結婚式を行う必要はあるのかと。
ぼくは結婚式の価値は誓いにあると、今でも信じています。
一世帯として社会にどのような貢献をするかを神様と大事な人達の前で誓い、波瀾万丈な結婚生活の羅針盤を設定することにあると思ってます。
それはお金では買えない価値であり、人の数だけ誓いの形は存在すると思います。
今まで立てた誓いについて、一度立ち止まって振り返ってみませんか。